それでも人生にイエスと言う

もう、ただの日記だに

【ドラマ】大学青春ドラマと名高い『オレンジデイズ』を初めて見たけど面白かったのは1話だけだった

暇だったので、huluで『オレンジデイズ』を見た。本当は『ブレイキング・バッド』とか『ウォーキング・デッド』を見たいんだけど、夫がいないと見れない(一人で先に観ると怒られる)。なので、彼が絶対に見る事のない日本の青春ドラマを選びました。

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放映当時の2006年には全く見てなかったので、特に思い出補正もなく見ていたんだけど、1話目で度肝を抜かれました。

まず驚いたのが妻夫木さん演じる「結城櫂」の真っ白さ。だってさ、よく知らない女の子を雨ザーザーの中でちゃんと待っちゃうんだもん。そりゃ、成り行きとはいえ遊園地でそこそこ楽しく遊んだ相手だよ。でも、普通待つか?よくわからん。でも、不思議なのがそこに嫌味がないだよねー。こんな奴、絶対いねーだろ。とツッコミつつも、なんかあの「結城櫂」像が本当に自然な感じなので、まぁいてもいいのかな…って思ってしまった。この白さって、役者によってはわざとらしさが出てしまうものだと思うんだけどね。それがないのがすごい。

あと、柴崎コウ演じる萩尾沙絵のはっちゃけぷり。手話で下ネタ連発するわ、クソわがままだわ、タバコすぱすぱ吸うわ…。遊園地ですれ違った結果、あっさり自分だけ帰っちゃうし。その後、気になって様子を見に行ったら、健気に待ってる櫂くんにキュンとしてキスしちゃうし。

なにこれ。新しくて面白いじゃないの!?

って思ったんだけど、その後は、北川悦吏子女史ならではの予定調和なぬるーい恋愛劇になってしまったので、こどもをあやしながら、仕事しながら適当に見てた。話数が進むごとに、キャラ付けがどんどん崩壊していく様はすごいわ。最終話も全く感動しなかった。

しかし、なんでこう北川悦吏子女史の書く物語って設定を活かしきれない感じがするんだろ。

大学生ならではの葛藤を描くわけでもないから大学生である必要あった?とか思うし、ヒロインが聴覚障がいなんだけど、彼女に関連して起こるトラブルのエピソード群がなんか浅いんだよね。底が浅いというか。もともと配置された役者をベースに当て書きをする脚本家らしいからなのか、つぎはぎ感、取ってつけた感がすごい。だからキャラ崩壊を起こすのかもしれん。

一番の見どころは瑛太の当て馬っぷりかな。

オレンジデイズ DVD-BOX

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テーマソングのミスチル「sign」は最高に良かった。

Sign

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【子育て】寝かしつけには、新生児期にはおくるみ、4ヶ月以降はねんねトレーニングをおススメする

寝かしつけの我が家の方針を語りたいと思います。

新生児期から3ヶ月ころまで

りんは生まれた時から、寝ぐずりがひどい子でした。抱っこしてゆらゆらさせて寝かせるけど、布団に置くと起きて泣く。歌っても置くと泣く。という典型的な寝ぐずりっ子。その寝ぐずりは大抵3時間続くのですが、産後の十分に回復していない身体での寝かしつけは体力的にも精神的にもキツい。この寝ぐずりを解決しないと子を放り投げてしまいかねない!と思った私は、いろいろ調べて試行錯誤した末に行き着いた方法は「おくるみ戦法」でした。

エイデンアンドアネイのおくるみでびっちり巻くと不思議とコテッと寝るのです。さらには、夜中に授乳してもすぐ寝てくれる。

女の子なのでピンクの模様。2人目の事考えてニュートラルな模様にしておけばよかったと今更ながら後悔。

巻き方は公式サイトにも載ってるんだけど少し分かりづらいので動画を紹介。

この動画でもわかるようにかなりきつめにびっちり巻くのがポイント。ただ、巻かれている様子を親に見せると、「虐待みたい」とか言われるのですよね〜。心外すぎる。欧米ではおくるみ普通に使うみたいです。だから気にしない。

た〜らこ♪た〜らこ♪みたいだなっていつも思ってた。

ただ、我が子の場合、3ヶ月中盤を過ぎたあたりで夏が始まろうとしていたこともあって、おくるみ戦法が使えなくなります。ガーゼで通気性がよいとはいえ、朝起きると汗びっしょりになるのです。

4ヶ月以降

おくるみが使えなくなると寝付き悪いのが再び復活します。この時期の寝かしつけの苦労については、過去記事にしてあります。

最初の寝かしつけ担当が夫だとなぜかギャン泣きしてしまって、その結果疲れちゃうのか、私にバトンタッチしたとたん寝るんですよね。私がはじめから寝かしつけをした場合でもグズグズしますが、ギャン泣きはしません。その代わりに割りと長引く傾向にあります。

なんとしても寝かしつけをすんなり済ませたい。で、またいろいろ調べて、ねんねトレーニングを始める事にしました。

前提

  • 18時くらいにお風呂に入って、20〜21時くらいに寝かしつけ開始。
  • 添い乳はしない(もとからしなかったけど)
  • だっこしない(これも始めからしてなかった)
  • 寝かしつけ前にたっぷりのおっぱいorミルク

入眠儀式

うちの入眠儀式は絵本です。絵本を5冊くらい読みます。

読んだあと、頭をなでなでして「おやすみ。ねんねねー」と言って小玉電球くらいに暗くして部屋を出る。

これで寝てくれたらベスト!といっても、今はそんなこと一度もない。いつかそうなってほしいけど。

今は、暗がりで一人でうにょうにょ動いてます。りんは4ヶ月で寝返りできるようになっちゃってるので、うつ伏せになって首上げして一人であうあうしてることが多い。

ねんねトレーニング

たまに様子を見つつも、泣いてなかったら基本的には放置。わーんと泣き始めたらトレーニング開始の合図です。

  1. 泣きわめく我が子と向かい合わせに添い寝して背中トントン+「ねんねよー」と声がけ。2分だけ。

  2. 泣き止まなくてもトントンは2分でやめて「おやすみ」と言って部屋を出て一人にさせる。そして、泣き続けてたら2分後にまた部屋に行く。

  3. また2分トントンして部屋を出て一人にさせる。

  4. 3分後に部屋に行く。

  5. 2分トントンして部屋を出て一人にさせる。

  6. 4分後に部屋に行く。

(以下、一人にさせる時間を徐々に伸ばすように繰り返す)

これだけです。このねんねトレーニングを始めたここ数日は、大体トータルで30分くらいで寝かしつけができるようになりました。トレーニング始める前は最低でも1時間はかかっていて、3時間エンドレスの時もあったので効果は歴然。

ただ、我が子専用のマイルールがあります。それはトントンの時間です。ねんねトレーングでは「部屋にいて子をあやす時間は固定で」が基本だと思うんですけど、うちの場合、泣き方によってトントン時間を延長する時があります。2分で部屋を去るのは、泣きモードが手足バタバタ&うわーーんといったギャン泣きが収まらなかった時のみ。トントンしていて泣きモードが「寝に入る直前の小さなメソメソシクシク泣き」に変わったと思ったら2分越えようがトントンし続けます。我が子の場合こういう時はゴールが近いんですよね。ラストスパート!ってな感じで。その後は大抵数分で寝付くのです。

ねんねトレーニングの思いがけないメリット

このねんねトレーニングをしていて何が一番変わったのかというと、私の心持ちです。寝ぐずり対応にメリハリが付くんですよね。部屋を離れる数分の間に家事をちゃちゃって終わらせて、子の様子を見に行く。そしてまた離れて、数分でできる家事を一段落させて、子の様子を見に行く。このリズムがとてもいい。

なんというか、一つの家事を終わらせた。という小さな達成感の後に子をあやすためか、子のあやすのに全力を注げるんですよね。残っている家事や仕事を横目に、子にひたすら集中してエンドレス対応って「早く寝てくんないかな…」って気持ちが優先しちゃうし、途中でダレるんですわ。子のすぐ横にいるのに、ただいるだけって事もあったもん。

参考

以下の記事を参考してトライしています。

私は読んでないですが、こちらが元みたい。

赤ちゃんがすやすやネンネする魔法の習慣 (PHP文庫)

赤ちゃんがすやすやネンネする魔法の習慣 (PHP文庫)


基本、子育ては楽したいと思ってるので、抱っこによる寝かしつけを回避してたらこの方針になりました。 逆に夫はすぐに抱っこしちゃうのよね…。普通お母さんが抱っこする誘惑に負けるんでしょうに逆転してしもうたw

夫のリクエストで入眠用のおしゃぶりを最近買ったんだけど、私は使ってない。

早く夫にもねんねトレーニングを実践してもらわなければ。

フリーランスは自分で意識的に新しいことにチャレンジしていかないと成長が止まる

私はフリーランスなので、産前10ヶ月ぎりぎりまで仕事をし、産後2ヶ月から早々に復帰しました。といっても子育てがあるので、そんなにハードには仕事は受けず、せいぜい月に5人日くらい。仕事内容は…というと、産前はメディア構築のPMとして動いてて、私が子をリリースするタイミングと同じくらいに手がけてたメディアもリリースされたので、今その運用支援周りでお手伝いさせて頂いてます。

子育て+家事しながら5人日捻出するのって結構大変。たった5人日でかつ細切れな稼働だとやっぱり動ける内容も限られてしまう。お客さん目線でのコストパフォーマンスを考えると、私が現時点でもっているスキルを提供するのが一番効率よいのですよね。結果的にPMとかディレクション周りになるんだけど。

そんな中、どうしても分析周りで私が実作業したほうが早いっていう事案があって、この前久しぶりに、エクセルをちゃんと使った*1。いろんなところからデータ集めて、VLOOKUP関数とか使って統合して、ピポットとか使って集計して。みたいなことをやった。久しぶりで楽しかった。

楽しかった…けど、まぁこれもよくやってた仕事だったわ。久しぶりなだけで新しくもなんともない。

そこで思ったのが掲題の内容。フリーランスやりながら自分も成長したいなら、稼働外の時間で新しいことにチャレンジしていかなくちゃダメなんだなって。

今思えば、会社員時代はすごい恵まれてたなぁと思う。お給料もらっていろんなことやらせてもらってたもん。私は新規事業に携わることが多かったからだとは思うけど*2。ほんといろんなことやってたわ。構築ディレクション、運用ディレクション、広告運用、事業戦略、マーケティング戦略、事業企画、サービス企画、マークアップ、プログラミング、などなど。若干、器用貧乏的になってしまった感もあるけど、お給料もらって新しいことにチャレンジできるってこんな幸せなことないよな。会社的には未来投資の位置づけなんだろうが。

フリーランスになった今、試行錯誤することをコミコミで稼働を買ってもらえるなんていう(私にとっての)神案件があるのだろうか…と思うけど、そんな仕事あったとしても受け入れられる度胸ないわ。だって、そういうのって、完全成果型のフルコミット案件だもんな。だったら社員にならんと。

このままフリーランスを続けるにしても会社員に戻るにしても、そろそろ自分のコア・バリューみたいなものを作っていかねばならぬな…とそんなことを心の片隅に置きつつ、今は子育て+家事を優先して頑張ります。コア・バリューにはならないんだけどさ、「子育て+家事をやりつつ仕事もする」っていうスタイルをやりこなすことができたら、それはそれで、なかなかのスキルアップだと思うんだよね。

逆に、子育てしながらのプログラミングは無理。この前アプリ開発の続きをしようとしたら、全然ダメだった。クリエイティブ系の特に実作業系の仕事はホントまとまった集中できる時間がないとダメだよなー。

と自作アプリの開発が止まってることに対する言い訳で締めくくっておきます。

*1:相変わらずエクセルはUTF-8対応してなくてイラッとしたわー

*2:似たような仕事をやらされ続けて飽きちゃって仕事辞めてる人もいたから

【映画】『時をかける少女』を改めて見たら、主人公の愚かさが自分に返ってきて絶望した

一回目見た時には、主人公の愚かさ加減ばかり目についてイライラしてた『時をかける少女』。huluで8/31までだったのでせっかくなので見ました。

一回目は私が26歳の時だっけかな。レンタルで見ました。

その当時は、しょーもないことにタイムリープしまくって結果的に友人を危険に晒してる真琴にすごくイライラしてたっけ。ボロボロになってるまことを見ても、まったく同情できなかった。

んで、今、30代中盤。年をとったからかもしれませんが、昔ほど苛つかない。というか全く苛つかない。なぜだろう。

しょーもないことでタイムリープを繰り返して「人生バラ色だ。わはは」と笑う真琴に、おばや友人は

「そんな程度の使われ方で良かった」
「使われたのがバカでよかった」

とか言うのですが、なるほど。主人公がアホだからこの話が青春映画として成り立つのか…と二回目にして気づきました。

気づいたけれども、この主人公はやはり好きになれない。なんでだろう…と、これまで自分が好きになったキャラクターを思い巡らしてたら、なんか分かった。

真琴は、根本的に頑張らない子(都合の悪い事に逃げる子)だから好きになれないんだ…。最終的には、自分の愚かな行為を反省し振り返るんだけど、それにしても立ち直りが早すぎやしないか。軽すぎる。だから、「ああ、この子ってただの馬鹿なのかな…」って思ってしまう。

ジュブナイルであるがゆえに、映画には「《納得》出来るように生きよう」(時に賭けろ)というポジティブなメッセージがある。映画ではあからさまに、「未来に駆け足で行きたくなる」ような主人公の姿に羨望を覚えるような構成になっている。それにしても、主人公は過剰なほどにポジティブだと思う 『時をかける少女』から「納得」を得るか「絶望」を得るか。 - 荻上式BLOG

そう、ポジティブなのはいいことだ。未来に前向きなのはいいことだ。ただ、この手のタイプのポジティブさは周囲を振り回しがちで、迷惑なことがおおい。

ちなみに、私も比較的ポジティブな方なんだけど、以前友達から

君のポジティブさは、うつ気味の僕からすると逆にうっとおしいよ。

と言われたことがあったりするので、真琴を見ていて苛つくのは近親憎悪だったのかもしれない。そして、年をとった今、真琴にそこまで苛つかないのは、そんな愚かな自分を受け入れつつあるということかもしれない *1

あ、よく考えたら「それでも人生にイエスと言う」という言葉をブログタイトルにしてるところからしてポジティブだった。ただ「それでも」って言葉がポイントなのよ。今は多少は思慮深さを持つようになったのだと自分を信じたい。

時をかける少女 [Blu-ray]

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そういえば、タイムリープする時、なんで飛ばなきゃいけないんだろ…。

時をかける少女 〈新装版〉 (角川文庫)

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実は、こちらの小説版読んだことがないんだよね。今度読むか。

*1:ぶっちゃけそこまで愚かとは思ってないけど。なお、その友人から「そのプラス思考は宗教にもなるよ。教祖をやる気になれば僕が動くよ。」とも言われたことがある。

暮らし系記事を書き始めた理由

最近、暮らしネタを書いてるのは、ミニマリストの方々のブログを読むようになって、すごーく刺激を受けたからです。

私は以前から断捨離もサクっとするタイプだったので、皆様方の暮らし方に共感するところがあってすごく面白いな〜って見てました。とくにいいなぁって感じる暮らし方はさっそく取り入れたりしてます。

ただ、私はミニマリストを目指してるわけじゃないし、それなりに物欲もある。そのレベルの人間が、どう工夫して暮らしてるのか共有するのもそれなりに面白いかも?と思って【暮らし】の記事を書いてます。

とはいえ、このブログの雑多煮スタンスを止める事はしないのですが。

ノウハウ系の記事や薄いレビュー記事より、もっと「日常の気づき」や「自分の価値観・考え方」みたいなモノを扱いたいとは思っていて、それはおそらく雑感カテゴリなんだけど、雑感に入る記事ってすごく気を使うんですよね。伝えたい事をシャープにすると、いろんな配慮に欠けた感じになる。けど、削らざるえないので、言葉尻をそれなりに気をつけてます。雑感なのにww

もっと空気を吸うように文章が書けたらなぁ。

【暮らし】常備菜を作っておけばフライパンを使わずに5分でランチの準備ができる

子どもを産んでから、私はずいぶん外出が減りました。家の近くにはたくさん店もあるんですけど、やはり赤ちゃん連れだと腰が重くなります。食材調達はもっぱらネットスーパーだし、外食も月に1度あるかないかくらい。なので、必然的に自炊率が高まって、常備菜を多く作るようになりました。

この常備菜があると、ランチがすっごく楽になるんです。産前は、ランチと言えば一品料理のパスタとかチャーハンとかが多かったんですけど、赤ちゃんの世話をしながら食材を切ってフライパンで炒めるのってなかなか難しい。でも、常備菜があれば冷蔵庫から出して並べるだけでいいんですよね。

ちなみに今日のランチ(写真が下手ですみません)。

大皿左上から

  • 鶏むね肉とキャベツのオイスター炒め(今朝作ったお弁当具材の残り)
  • 鶏もも肉のねぎ塩ダレ(昨日の晩御飯の残り)
  • きんぴらごぼう(常備菜
  • 大学いも常備菜
  • ナスの煮浸し(常備菜
  • 小松菜としめじのおひたし(常備菜
  • ヨーグルトの上にブルーベリージャム
  • ご飯(冷凍)
  • ニラと卵のスープ(昨日の晩御飯の残り)

それぞれ少しずつお皿に盛るだけなんですけど、ここまで品目が多いとリッチに見えますよね。

うちでは夫のお弁当も作らなくてはいけないので、一つの常備菜の量も多めに作るんですけど、朝、昼、晩と同じモノを出すとさすがに飽きるので、常に6種ぐらい用意しておいて、できるだけバラけさせています。

常備菜サイクルは最近ようやくコツをつかんできたところなのですが、それはまた今度。

Facebookでの痛い投稿に絶望を感じてしまうのは実名制だからかも

Facebookについては過去にも一度長々と話をしているんだけど、

また、なんか破壊力がある人を知ってしまった。

皆がツッコミを入れてるように、この投稿のより恐ろしいところは「類は友を呼ぶ」というやつなのだけど、これ、Facebookだから余計に怖いんだわ。

Twitterだったらここまで恐怖を感じなかったと思う。 Twitterって、瞬間その時の感情を反映したつぶやきな事がほとんどだと思うし、故にうっかり言っちゃった系も多い。そう、Twitterの発言は重みがない。

だから、明らかに愚かな行為をしてる人がRTで回ってきても「ただ目立ちたいだけなのでは?」とか「釣りなのでは?」とか「言葉足らずなだけなのでは?」と一歩引いてみてるところがある。何が真意かを見極める必要がある。

2chの発言とかはそれがより顕著だよね。ひろゆき氏も言ってました。

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だから、Twitter2chも本当に痛い投稿に遭遇した時、フィクションとして流すことができる。向こうに誰か居るのは間違いないんだけど、フィクションとして流したいときもあるじゃない。これはどうせネタだろ!?と。

それに比べてFacebookでの投稿って、なんか急にリアルになるんだよね。あぁ、こんな人が本当にいてしまうんだって実感する。 Facebookでの発言には、それなりの責任を伴うだろうから、きっと本人は真剣なんだ。

それが余計に手に負えない感じで怖い。相容れない人、話が通じない人ってのは確実に存在するんだ。

そりゃ争いがなくならないわけだよな。

この件については以下の記事が詳しいです。なぜ、理解し合えないという事が起きるのか。が分かりやすく書かれています。(ちと長くて盛り沢山だけど