それでも人生にイエスと言う

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「嫌われる勇気」ってアドラー心理学の本だったの!?

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

すごい今更なんだけど読んだ。キャッチーなタイトル過ぎてむしろ嫌煙してた。

私は大学で心理学を先行していたけど、専攻は認知心理学だったので、実は「アドラー心理学」自体をしっかり学んだのは今回が初めて。 対話形式なのですごく読みやすかった。ソフィーの世界といい、こういう哲学的な話は対話形式の方が理解を促しやすいのかもしれないな。

アドラー心理学に対する自身のリアクションは「そうそう。ほんとそれ!」みたいな感じで、はじめからほとんど同意してた。 いつも考えていたことをまさに言語化してもらった気分さえしている。

例えば、

たとえば、金銭絡みの怨恨によって殺人を犯したとする。これだって当人にとっては「しかるべき理由」あってのことであり、言葉を変えるなら「善」の遂行なのです。もちろん道徳的な意味での善ではなく、「自分のためになる」という意味での善、ですが。

岸見 一郎,古賀 史健. 嫌われる勇気 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.524-527). Kindle 版.

つまり価値とは、社会的な文脈の上で成立しているものなのです。1ドル紙幣に与えられた価値は、ひとつのコモンセンス(共通感覚)ではあっても、客観としての価値ではない。印刷物としての原価を考えるなら、とても1ドル分の価値はない。

岸見 一郎,古賀 史健. 嫌われる勇気 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.918-921). Kindle 版.

われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」

岸見 一郎,古賀 史健. 嫌われる勇気 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1664-1665). Kindle 版.

相手が自分のことをどう思おうと、好いてくれようと嫌っていようと、それは相手の課題であって、自分の課題ではない。

岸見 一郎,古賀 史健. 嫌われる勇気 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1842-1843). Kindle 版.

わたしが関係修復の「決心」をするにあたって、父がどんなライフスタイルを持っているか、わたしのことをどう思っているか、わたしのアプローチに対してどんな態度をとってくるかなど、ひとつも関係なかったのです。たとえ向こうに関係修復の意思がなくても一向にかまわない。問題はわたしが決心するかどうかであって、対人関係のカードは常に「わたし」が握っていたのです。

岸見 一郎,古賀 史健. 嫌われる勇気 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2128-2132). Kindle 版.

自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけることです。これは優越コンプレックスにも結びつく発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。自らに嘘をつくものではありません。

岸見 一郎,古賀 史健. 嫌われる勇気 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2876-2879). Kindle 版.

とかとか。

私はどう捉えていたのか?というと、

人は主観の世界から逃れることはできない。目の前にある全ての事象は主観というフィルターで覆われた世界である。 それを念頭に置くと、他者の気持ちなどわかるはずないことを理解する。他者の気持ちが分かった気になっているだけで、自分の思い込みである。さらに、その思い込みは自分にとって都合の良い解釈になっている場合がほとんどである。しかし、それで良いのである。重要なのはその考えを反芻し、忘れない事である。

上の事が前提事項になると、自分が起こした行動に対しての結果として相手から見返りを求めるようなことはしなくなる。相手が望んでいるかどうかも分からないのだから、あくまで「自分がしたいからやった」で自己完結できるようなる。 おそらく、あらゆる自己の行動は、潜在的には合理的な判断に基づく行為であり自分本位な行為なのだから。 (そういう意味で「あなたのためを思って〜〜〜」という言い回しは好きではない。そんなことはありえないからだ。)

究極的には、ありとあらゆる判断は自分の利益のために下される判断だと思っている。だからこそ、自分が意思決定したことで起こった事象に対しての責任(まさにタイトルにちなむとすれば「嫌われること」など)自体は自分が請け負う覚悟をもつ(他責にしないこと)必要がでてくる。

みたいな感じでずっと自分の人生観を捉えていたので、ほぼ納得でした。もっと早めにアドラー読んどけばよかった。

いまいち共感できなかったのは、「他者への貢献」の意味。かな。

あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。

岸見 一郎,古賀 史健. 嫌われる勇気 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.3593-3596). Kindle 版.

「他者への貢献」という導きの星に則って行動しつつ、自分を嫌う人は切り捨てろ(貢献するな)。って矛盾がある気がしてて違和感があった。 ただ「他者への貢献」も自己満足でよい。という前提も書かれているので、矛盾はないのかもしれない。ただ、「他者への貢献」っていう字面から博愛的なニュアンスを感じてしまうから、違和感を感じてしまうのかもしれん。

もう少し他のアドラー書籍読んでみます。