それでも人生にイエスと言う

もう、ただの日記だに

新卒入社で7年間勤めてた会社を辞めたのに、別れが寂しくない自分にちょっとコンプレックス

4月中旬に入ったところで、今頃振り返りなんだけど、3月末で7年間勤め、お世話になっている人がたくさんいる会社を辞めた。(ちなみに、この記事、過去を振り返ってたくさんの人に向けて感謝を述べるわけではないので予めご了承ください。)

私は…これまで卒業式で泣いた事が一度もない。卒業式の別れのいったい何が悲しいのかとさえ思う。友達ともう会えない事が寂しい?会いたいと思える人とは生きてるかぎり今後も会えるだろうし、学校という場がなければ会わない人は、ただそれだけの人だってことだ。

高校卒業した後も、大学を途中編入したり、院はまた違う大学行ったりで「今友達がいる場から自分一人抜ける」というシチュエーションが多くて、私の一人のための送別会というのはわりと何度も体験しているんだけど、いずれも泣いた事がない。

だから今回も泣かないはずだったんだけど、同僚の人らが泣くので私もホロリと泣いてしまった。我ながら意外すぎる。

とはいえ、ほろり程度である。集まってくれた皆、私のドライさはよく知ってる方達なので「泣いてる俺たちを見て、どうせ『なんでこの人たち泣いてんの?馬鹿じゃないの?』とか思ってるんだろー!」って言われたんだけど、そんな事は全く思ってなくて、「私などのために泣いてくれる人がいるとは!涙がもったないよぉぉ。」と心底驚いてむしろ冷静に感動したというのが本音。

自分を卑下するわけじゃないんだけど、なぜかそう思っちゃう。私の事を必要としてる人間はそんないないから、いなくなってもかまわないのではないか。という潜在的に思ってるぽく…というか、実際そうだしなー。私がいなくなっても、普通に世の中回ってくし、みんな楽しく生活できるから。

この考えは一見ネガティブぽいんだけど、別にネガティブでもなんでもなくて、その方が割り切りが良い感じがするのよね。(ひょっとしたら、裏切られるリスクに対しての心構えをしてるだけかもしれないけど)

私が今回の別れで泣かないのは、やっぱり寂しいという感情がないからなんだけど、それは冒頭と同じ理由で、別れに対して悲観的でない(会おうと思えばいつでも会えると思ってる)から?なのか、それともやっぱりただのスーパードライなのか、未だ分からない。。後者のパターンは私のコンプレックスをくすぐるので、できるだけ前者だと思い込もうとしてる。

泣けない私だけど、会社勤め最後にあのチームから旅立つ事ができて本当によかったし、幸せだった。みんながんばってほしいな。