それでも人生にイエスと言う

もう、ただの日記だに

侵入パーソナスペースが近いと痛い人認定されるが、たまにはいいこともある。

昔から私は対人との距離が近い。幼少から近いと言われ続けて来てそれは今だに治らない。この性質は心理学的な見方をすれば、「侵入パーソナルスペース」と呼ばれるもの。簡単に言えば、「自分自らが相手にどこまで踏み込んでいけるのか」の度合いを示す指標だ。

その性質は「物理的な距離感が近い」といった特徴以外に「相手の態度に引っかかることがあるとき、相手の気持ちが気になる時に、臆せず自分の気持ちを素直にぶつけることができる」ということもある。良く言えば「歩み寄ろうとする。」ということなのかもしれない。

最近もこの性質を如実に感じられることがあった。

私は最近めずらしく人間関係で悩んでいて、相手との関係を維持したいのに、相手が私の事を必要としてないかもしれない。認めてもらえない。と不安になる事が多々あり、もうどうしようもない気持ちだった。しばらく悶々とした日々をすごした。友達に愚痴ったり、本当の理由に目を背けて別の問題にすり替えたり、何もせずに逃げようとしたり。

そんな風にして、本当に腐りそうだったんだけど、いろいろ省みた時「やっぱり自分に不足があったんじゃないか?」と考えるようになり、反省した気持ちをどうしても伝えたくて、思い切ってメッセージを送った。

ところが相手からの返信によれば、思い悩んでいた懸念は完全に私の杞憂だったらしい。私が勝手に卑屈になってただけにすぎなかった。それに気づいて恥ずかしかったのもあるけど、心の底からホッとして泣けた。

その時、改めて感謝したのである。相手に自分の気持ちをぶつけることのできる自分の図々しさに。行動を起こさなかったら、私はずっと、なんというか、自分に負けてたというか、ダメになってたと思う。

それにしても私も年をとったのだなぁと思う。今回は本当に逃げることも考えていた。そう、その逃げるという選択肢があることに少し驚く。

なぜ逃げなかったか?を内観して突き詰めていくと打算的な考えが垣間見え、自分の行動力の源泉はやはり自己のメリットからだったんだと気づき、ちょっぴりげんなりするのだけどね。

あ、ちなみに、恋愛の悩みではありません。