読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

それでも人生にイエスと言う

もう、ただの日記だに

愚痴を吐かなくなったらどこに捨てればいいんだろう

別にへこんでたりはしないんだけど、最近あんまり他者に対して愚痴を吐く機会がないなぁ…と思った。

と急にそんなことを思ったのは、最近、母からの愚痴電話が異様に多くなってきたから。電話の内容は、ごく単純で、姑との確執…といえば格好がつくのかもしれないが、ただ、うちの祖母がぐうたらで何もしいない人なので、それに腹を立てているという内容。でも、それが近頃とても多くて…そうとうストレスなんだろうなぁ…と思いながら話を聴いています。

私は母を愛してるから、別に何にも嫌悪を抱かず、「すっきりできるなら、愚痴を吐いて」という感じで、いつも聞きうけているんだけど、話を聴きながら、(あぁ、そういえば、私は最近愚痴吐かなくなったなぁ…)と感じた。

私もこれこれで、愚痴ってたりするんだけど、なんというか、ブログに書き込みするのと、人にわざわざ言うのは違う感じがするのよね。ブログに書く場合って特に聴いて欲しくて書いてるわけではなく、タダ文を書きなぐっただけのストレス発散の場として使ってるつもり。要するにチラシの裏

愚痴る場合も、その根本は実にくだらないものであることや、一過性な問題であること。それに、愚痴る相手も、その話題の内容が労せずして理解してもらえる人を選んでいる(愚痴の問題となっている部分を説明するのが面倒なので)し、必ずしも、"その人"である必要性はない。

私だって時々泣き言を言いたくなることがあるけれど、その内容が真に深刻で自身に関わってくるものであればあるほど、言い出しにくくなるよね。私の場合、今それに該当するのは、研究の悩みになるんだけど、これって、あまりに真に迫ってるんで、実に言い出しずらいし、そもそも説明するの面倒くさい。かといって事情を説明しないで無駄にテンション低い事を言っても心配を煽るだけなので、言い出そうと思っても、結局やっぱりだんまりになります…。

ちょっと前、愚痴ってみようと思ったんだけど、やっぱり途中でやめてしまった。

なんというか、リアルで誰かに愚痴るって、実はものすごく体力の要ることなんじゃないか?と思う。愚痴った瞬間の相手の反応がリアルタイムでわかるんだもん。相手がいまいち状況についてピンと来てない感じを受けたら、その状況についての説明を逐一しなくてはいけないし、そんな苦労して、結局…ねぇ?

って、あ、そういうことか。そういう意味で私は誰にも愚痴らなくなってしまったのかしらね。極単純に考えれば、愚痴ることもない幸せな生活を送ってるということなるのでしょうけど。少なくとも、今、"悩み"はないですね。解決しなくてはいけない"問題"は山ほどありますが。

いや、それにしてもDAYSに投稿すべき内容のない支離滅裂な記事ですね。DAYS側はこんな感じを目指してます!(え